米国の調査会社のEEDAR(Electronic Entertainment Design and Research)のアナリストであるJesse Divnich氏は、ゲームのクオリティと広告に関する調査を行い、クオリティアップよりは広告にお金をかけるべきと主張します。
氏は2007年~2008年に発売されたゲーム1300本の売り上げとマーケティング、ゲームのクオリティをチェック。クオリティが高くても低くてもマーケティングにお金をかけると売れ、逆にクオリティが高くてもマーケティングにお金がかかっていないと売れないとしています。
「クオリティに焦点を当てる説得力のある理由はなく、そのお金と時間をマーケティングに費すべきです」「もしあなたが何かを犠牲にしなければならないのなら、クオリティはその最初のものです」という氏の発言は実に率直な意見といえるでしょう。
ゲームファンをしていれば、ハイクオリティにも関わらず売れないゲームを何本も目にしているはずです。売れないゲームに費やされたクオリティアップの努力は無意味なのでしょうか。ゲーム一本の売り上げで見るなら無意味かも知れません。しかしハイクオリティのゲームは次回作への期待とデベロッパーを買い支えるファンを生み出すのではないでしょうか。
対して、広告に徹底的にお金をかけ、ロークオリティのゲームを沢山売った場合はどうなるでしょうか。ロークオリティのゲームでは高い満足度は得られません。こうしたゲームを何度か買ってしまった人の購買意欲は下がっていくでしょう。沢山売っているだけにこうした傾向が広まるのも早く、長い目で見れば売り上げの低下に繋がりかねません。
クオリティが高く、マーケティングが伴っているのが理想ではありますが、お金と時間は有限です。お金と時間をいかに割り振るかは難しいテーマであり、最適な解答存在しないでしょう。現場はジレンマと闘い続けなければならないのです。
しかし、この苦闘を止めてしまった先には明るい未来はないでしょう。
そもそも、売るべきものがなければ何をマーケティングすることもできないのです。
素晴らしいマーケティングはゲームを買う前に、ハイクオリティはゲームを買った後に、それぞれ信頼を生み出します。二つの信頼が適切に作用し、マーケティングの努力もクオリティアップの努力も無駄にならない、難しい理想ではありますが、それゆえにチャレンジする価値も見守り買い支える価値もあるのではないでしょうか。
《水口真》
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