セガと任天堂のコンソール販売競争を追ったノンフィクション小説『Console Wars: Sega, Nintendo, and the Battle that Defined a Generation』の作者ブレイク・J・ハリス氏と、米セガ前マーケティングマネージャーのアル・ニルセン氏が登壇し、メガドライブ(Sega Genesis)とスーパーファミコン(Super Nintendo Entertainment System)発売当時のアメリカでセガと任天堂がどのような攻防を繰り広げていたかを語りました。

このイベントは夜9時半から11時半までというスケジュールだったにも関わらず、多くの来場者が訪れていました。ちなみに、ハリス氏の『Console Wars』は『ザ・インタビュー』のセス・ローゲンとエヴァン・ゴールドバーグによる映画化も予定されています。

ハリス氏は子供の時に家族からクリスマスプレゼントとしてメガドライブをもらってからセガのゲームに興味を持つようになり、大手書店などに映画史や音楽史のコーナーはあるのにどうしてビデオゲーム史がないのだろうと疑問に思ったことが本を書く動機になったのだそうです。

ニルセン氏は百貨店のゲームやPCのバイヤーからキャリアをスタートし、ハズブローが計画していたゲーム機「The Control-Vision」にも関わっていたそうです。会場では、1982年当時に手がけたAtari5200のパックマンをフィーチャーした米百貨店J.C.ペニーのCMが上映されました。

ハリス氏は当時のファミコンブームを伝えるニュース映像を流し、アメリカでどれくらいファミコンが大人気であったかを解説。そのファミコンブームの中、セガがいかに任天堂の牙城を崩そうか試行錯誤していたことが語られました。
1989年、スーファミに先駆けて発売された16bit機であるメガドライブ発売時のCMが上映され、「Genesis does, Nintendon’t(メガドライブはやる、任天堂はやらない)」というキャッチコピーを使った対抗心むき出しのプロモーションを行っていたことも確認できました。

そして、任天堂のマリオのように、誰もが一目でセガとわかるマスコットを作ろうという話になった際、日本から2つのデザインが送られてきて、1つはどう見ても「卵」としか言い表せないキャラクターで日本とアメリカの文化の違いに困惑したそうです。
そして、もう1つがハリネズミのキャラクター。このハリネズミのキャラクターを見たとき皆が口を揃えて「ハリネズミってなんだ?」と言ったそうです。当時は情報が発達していなかったこともあり「Hedgehog(ハリネズミ)」という言葉自体知らなかったとニルセン氏は述べていました。これは、ハリネズミがアメリカに生息していないという理由もありそうです。
卵かハリネズミのマスコットのどちらを選ぶかというときに、彼女がいるハリネズミのマスコットの方がまだマシだという判断で「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」が誕生した、という秘話が語られました。

やがて、『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』はアメリカで大人気となり、メガドライブの販売台数を大きく伸ばすこととなりました。ハリス氏はこの当時の状況を、コカ・コーラ対ペプシ・コーラの関係に似ていたと比喩していました。
『ソニック・ザ・ヘッジホッグ2』の発売時のプロモーションは非常に大掛かりだったそうで、発売日であった1992年11月24日火曜日を「Sonic 2s day」という公的な記念日に指定してもらおうというキャンペーンも行ったそうです。当時のニュース映像が上映され、著名人を集めたプロモーション活動や、大掛かりなソフトの出荷式の様子などを見ることができました。

アメリカで大きくシェアを伸ばしたメガドライブですが、日本で伸び悩んでいた状況については、日本のマーケットがアメリカとかなり異なっていたのだとニルセン氏は語りました。
深夜まで行われたこのイベントですが、終了後も多くの来場者はハリス氏とニルセン氏を囲み、イベントでは語りつくせなかったゲーム史談義に花を咲かせていました。