ローカライズの本質はどこにあるのか

そんな日本の『クラッシュ・バンディクー』普及において、大きな役割を果たしたのが鶴見六百さん。今年3月にはメディアプラットフォーム「note」に「カルチャライズについて思うこと(1)」と題した記事を投稿し、自身の仕事について振り返っていました。
どうやら鶴見さんは、自身が行った『クラッシュ・バンディクー』シリーズなどのローカライズが、カルチャライズとして評価されていることに違和感があるよう。「許された自由度の範囲内で行った『ローカライズ』」だとして、カルチャライズをローカライズの中に含める認識を語っています。
背景にあるのは、「翻訳」とローカライズは違うという考え方。一般的にローカライズを言語の翻訳として捉える風潮がありますが、鶴見さんは作品が受け手側の市場で受け入れられるようにすることをローカライズと定義しています。つまり、言語だけでなく文化にまで踏み込んだ調整ということでしょう。
カルチャライズの成功例とされるものは、本当はローカライズの延長線上に生まれていた…。日本のゲーマーが愛する『クラッシュ・バンディクー』の歴史には、さまざまな学びが眠っています。