■己の成功を確信、いや過信──「今いけただろ」

自分のゲームの腕前は、本人が1番分かっています。だからこそ、自分が得意な方法でのクリアを目指したり、苦手な方法を避けるといった判断も可能になります。しかし、その判断が常に的確かと問われると、正直ブレが大きいのも事実です。
自分のゲーム経験、動体視力、反射神経を総動員し、クリアの道筋が立った……と思った瞬間、その確信した手は届くことなく、虚空を掴んであえなく失敗。厳しい現実に、ミスを突きつけられます。
自分の中では完全に成功だったはず。おかしいのはゲームの方では。確信から呼び起こされる疑問が、「今いけただろ」と、ゲーム側を問題視する言葉へと繋がります。もちろんこれも、プレイヤー側の思い込み。確信ではなく過信に過ぎず、単なる言いがかりでしかありません。
この失敗台詞はレパートリーが多く、「間に合ったって」といった判定のリトライを求めるような叫び声も、「今いけただろ」とほぼ同様です。また、STGのようなゲームなら「避けたよ」と言いたくなる場面もあります。いずれにせよ、結果は明白──決して「いけていません」。
■自分の感覚を信じたい! 信じさせて……──「ボタン押したって」

「今いけただろ」と近い意味合いですが、こちらはもっと明確な失敗に対する叫びと言えます。アクションであれほかのジャンルであれ、ここぞというタイミングでボタンを押す場面に度々遭遇します。
その時、華麗に成功すれば満足度満点ですが、失敗することもやはりあります。例えば、崖を超える大ジャンプに挑む時、力強くボタンを押したはずなのに、なぜか自機は飛び上がることなくストンと崖下へ。絵に描いたような失敗です。
ゲーム上では明らかなミスですが、プレイヤー側はボタンを押した感覚がしっかりあるので、現実とゲームの齟齬について「ボタン押したって」と苦情を発したくなるのでしょう。無論この齟齬は、ボタンをタイミングよく押せなかったプレイヤーが原因です。
ちなみに、「ボタン押せなかった……」と落胆しながらこぼす失敗台詞もあります。「ボタン押したって」と比べると、自己判断が正しい分だけマシと言えるかもしれません。