
1998年3月26日に、PS1向けにタカラからホラーゲーム『…いる!』が発売されました。本作は、文化祭前夜の高校を舞台にした一人称視点のホラーアドベンチャーゲームです。
プレイヤーは、主人公の高校生・稲葉達也となり、不可解な事件が起こり始めた校内を探索していきます。

本作は、当時から作品としての評価はかなり厳しいもので、劣悪な操作性と移動のテンポ、理不尽で不親切なノーヒント探索、粗すぎるグラフィック、説明不足のストーリーなどの多くの不満点から、ユーザーから厳しい評価を受けた作品であるのは事実です。

もちろん「クソゲー」と切り捨てるのは簡単ですが、舞台である夜の学校の不気味さ、Jホラーとクトゥルフ神話の融合を試みた独自性、恐怖を煽る不気味なサウンド……といったように、本作はホラー演出と世界観において、今なお一部のファンから熱狂的に支持されている「唯一無二の魅力」があるのです。
本稿では、そんな独特な学園ホラーゲーム『…いる!』の「ダメなところ」と「妙に惹かれるところ」を、両方から振り返ります。
◆『バイオ』以降のホラー隆盛期に登場した異色の学園ホラー

1996年に発売された『バイオハザード』の成功以降、PlayStationでは3Dグラフィックを用いたホラーゲームが急速に増えていきました。固定カメラによる探索、限られた武器や回復アイテム、怪物との戦闘といった要素が広まり、各メーカーが次世代機ならではのホラー表現を模索していた時期です。

そんな時期に発売された『…いる!』が選んだ舞台は、洋館や研究施設ではなく孤島にある高校です。
文化祭を翌日に控えた霧ヶ丘高校では、主人公の「稲葉達也」は準備中にうたた寝をしてしまい、「一ノ宮由麻」に起こされて校内を歩き始めますが、突然の停電をきっかけに状況が一変。生徒の豹変や殺人が起こり、それまで日常だった校舎が危険な空間へ変わっていく、というストーリーです。

文化祭前夜という設定は、本作の雰囲気作りに大きく貢献しています。
教室には翌日に向けた準備物が残され、生徒や教師も完全には帰宅していません。ごく普通の学校生活の延長から物語が始まり、停電を境に知っている場所が異常な空間へ変化していくため、特別な舞台を用意せずとも、身近な場所での不気味さを引き出すことに成功していました。
◆広い校舎を何度も往復。粗さが目立つゲームシステム

本作の基本システムは、一人称視点で校内を移動し、人物と会話したりアイテムを調べたりしながらイベントを進める探索型アドベンチャーです。
校舎は複数の棟と階層から構成され、シナリオの進行に応じて行動範囲も広がっていきます。しかし、この探索部分こそが本作で特に評価の分かれるポイントでもあります。

最大の問題は、次のイベントへ進むための条件(フラグ)が分かりづらいことです。
例えば、一度訪れた部屋を再び調べたり、特定人物との会話後に別の場所へ戻ったりする必要があり、初見では進行方法を見失いやすい作りになっています。実際の攻略チャートを見ると、資料室や美術準備室、渡り廊下などを繰り返し訪れ、会話やイベントを積み重ねることで物語が進行することが分かります。

この仕組み自体は当時のアドベンチャーゲームとして特別珍しいものではありませんが、『…いる!』では広い3D校舎を実際に移動しなければならないため、往復の負担が大きくなっています。
現在のゲームのようなクエストマーカーや目的表示もないため、進行につまずけば各部屋を総当たりに近い形で確認する必要があります。一人称視点の移動にも独特の揺れがあり、長時間の探索と組み合わさることでテンポの悪さを感じやすい点は、本作の明確な弱点だったことに異論はないでしょう。
◆「逃げて隠れる」ステルスの緊張感が台無し

本作の特徴としてもうひとつ挙げられるのが、敵から逃走し、身を隠して危機を回避するシステムです。主人公は戦闘訓練を受けた人物ではなく普通の高校生なので、怪物に遭遇しても銃や刃物を使って正面から倒すことはできません。特定のイベントでは制限時間が表示され、その間に安全な場所へ隠れる必要があります。

資料室では段ボール、理科室では教卓、職員室ではロッカーへ隠れるイベントが発生します。また、すべての怪物から単純に逃げるのではなく、校内で入手したアイテムを使って障害を排除する場面もあります。
「肉塊」を使って進路を塞ぐ怪物を退けたり、「エイボンの書断片」や「イブン=グハジの粉」を用いて怪物へ対処したりと、探索によって得た知識や道具が攻略へ結びつく構造は面白いと思います。
しかしながら、実際に隠密行動を求められる場面が、それほど多くないことが本当に惜しい点です。

敵が継続的に校内を徘徊し、それを避けながら探索するゲームでもないため、現代の感覚で「逃走型ホラー」を期待すると物足りなさがあります。発想自体は作品の設定とよく合っていますが、それをゲーム全体の核になるまで発展させられなかった点は惜しい部分です。
◆学園怪談からクトゥルフホラーへ。意外性のある世界観

ゲームシステムには粗さが目立つ一方、独特な世界観や設定は注目すべきポイントです。
序盤では、不吉な夢、停電、豹変する生徒、校内で起きる殺人といった、学園ホラーとして物語が進みますが、探索範囲が広がるにつれて、事件の背後に儀式や異形の存在など、クトゥルフ神話に影響されたホラーへと大胆に転換します。

一方で、作中における説明が十分とは言えないことや、雑多な要素が一つの作品に詰め込まれるなど、まとまりを欠いている部分も気になります。しかしそれでも、身近な学園ホラーから始まった物語が、徐々にコズミックホラーへ変化していく展開は本作の大きな個性です。
◆粗いポリゴンだからこそ残った、PS1ホラー独特の空気

グラフィックの質についても評価の分かれる部分で、当時としても洗練された3D表現とは言い難いものでした。しかし、ホラーゲームとして見ると、この粗さが結果的に独特の雰囲気を生み出していることも事実です。

もちろん、操作性やグラフィックの粗さそのものは決して長所ではなく、実際には作品をチープにしている欠点です。ただし、文化祭前夜の学校、一人称視点、低解像度の3D、特徴的なBGMなどが組み合わさった結果、作品全体には独自の不穏な空気が生まれていました。
◆それでも妙に惹かれてしまう隠れた異色ホラー

本作には、イベントの誘導が弱く、広い校内を何度も移動しなければならない不親切なゲームシステム、特徴的な逃走・隠密システムが十分に活かされていない作りの甘さ、物語やクトゥルフ神話の設定に説明不足といったさまざまな欠点があり、それが厳しい評価の原因なのは間違いありません。

一方で、学校を舞台にした設定や、一人称視点で校内を探索する構成、PS1の粗いポリゴンが作り出す不気味な画面、学園ホラーとクトゥルフ神話を組み合わせた世界観など、本作独自の魅力的な要素も確かに存在しています。

本作は、単純に“クソゲー”という一言で整理するには惜しい隠れた異色作です。1990年代後半、3Dホラーというジャンルが急速に広がるなかで、開発側がさまざまなアイデアを試した作品のひとつとして見ると、その粗さも含めて当時のゲーム制作の試行錯誤がよく表れている作品なのだと思います。
















