『アーマード・コア』と『エースコンバット』にはいくつかの共通点があります。どちらも操作するのは人間ではなく“機械”であること。最初はしがない一人の軍人あるいは傭兵だった主人公が、次第に一目置かれる「エースパイロット」になっていくこと。そして、敵機の無線がこちらに聞こえるという嘘をついていることです。

普通に考えればそんな事はあり得ません。こちらに呼びかける為の通信があったとしても、報告や独り言まで筒抜けなのはおかしいと言えます。では何故そんな嘘をついているのでしょうか。それは、こちらが敵機を撃破した時に聞こえてくる報告、そこから感じ取れる焦りや悲鳴、そして死の間際の言葉こそがプレイヤーにとって最大の称賛であるからです。
しかし、このプレイヤーへの称賛、もとい褒め方は対照的です。では、具体的にどのような違いがあるのでしょうか。本記事ではこの2作を並べ、ゲームにおける褒め方やアプローチの違いをみていきます。
ちなみに、厳密に言うと『アーマード・コア』の略称が「AC」で『エースコンバット』は「ACE」です。
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『エースコンバット』の主人公は基本的に軍に所属するいち軍人です。コールサインやエンブレムなどは決まっていますが、それ以外の情報はほとんどありません。そのため主人公の「名前」はコールサインであり、エンブレムが「顔」なのです。この「名前」と「顔」を最も上手く使い、後の『エースコンバット』の形を決定づけた作品が『エースコンバット04 シャッタードスカイ(以下、エスコン04)』です。

『エスコン04』はそれまでの『エースコンバット』からガラリと雰囲気を変え、架空でありながらもリアルに感じる世界をベースに“戦争”というテーマを扱い、ゲームとしての遊びと物語を完璧にリンクさせた作品です。この『エースコンバット』というシリーズに漂う空の雄大さと国や人々が争う戦争のむなしさ、ストーリーの語り方は後のシリーズに受け継がれ続けています。
そしてもう1つ『エスコン04』で後のシリーズに影響を与えたものがあります。それが「無線を使いプレイヤーを褒める手法」なのです。

『エスコン04』の「MISSION 04 BLOCKADE 空中回廊の遮断」は、港に物資を送る輸送機を破壊するミッションです。しかし、ただ破壊するだけの簡単な任務……というわけにはいきません。こちらのミッションではジャマーが展開されていて、画面左下のレーダーに敵機をうまく捉える事ができないのです。そのため、視界に入った敵機をひたすら撃破していくか、ジャミングを発生させている機体を特定して破壊し、レーダーが正常に動作するようにしなければならないのです。

筆者が『エスコン04』を初めてプレイした時、このジャミングの中で敵機を撃破した後に「本当にジャミングは効いているんだろうな」という敵の通信が聞こえてきました。この時、これはつまり「本当にジャミングは効いているんだろうな」→「ジャミングが効いていないのではないかと思うくらい味方機が撃破されていってるぞ」→「ジャミングをものともしない奴(プレイヤー)がいるぞ」と『エスコン04』がプレイヤーを物凄く遠回しに褒めている事に気が付いたのです。

その後も敵機を撃破していくと「敵にはこっちがよく見えていないはずだ」「こいつらには見えているのか?」という敵からの無線が聞こえてきます。こちらも先程と同じ意味の「褒め」です。これらはランダムな台詞なため特定のタイミングで再生される訳ではありません。まだ一機も撃墜されていない時に流れたとしても違和感のない、非常に優れた台詞です。
他にも、「MISSION 08 SHATTERED SKIES ソラノカケラ」に登場する敵軍のエース部隊「黄色中隊」に攻撃を当てると「黄色が煙を噴いている!誰がやったんだ?」「くそ、どいつにやられたんだ?」「今俺を撃ったヤツを確認してくれ」という味方と敵の無線が聞こえてきます。こちらは先程の無線と比べると「褒め」が分かりやすいですが、実際にこの「黄色中隊」に攻撃を当てるのはかなり難しいため、自分が注目を浴びるに値する事をしたという実感がありますし、それについて反応がしっかりと返ってくる事はこの上なく嬉しい事なのです。

この間接的に褒める無線の手法は、『エスコン04』や『エースコンバット7 スカイズ・アンノウン』の無線台詞を担当した鬼頭雅英氏による7のミッションを例としたポストなどでも詳しく意図を解説しています。
『エスコン04』の主人公は「メビウス1」というコールサインで、青いリボンのエンブレムと共に上空を駆ける事しか私たちプレイヤーは知りません。しかしその「メビウス1」というただのコールサインでしかなかった言葉には、次第に勝利や英雄の意味が込められるようになり、青いリボンのエンブレムは自軍にとっては救いとして映り、敵軍にとっては脅威となっていくのです。


後半からは、敵軍の通信から「リボンのエンブレム」「リボン付き」という言葉が聞こえてきます。なぜこのエンブレムの事を知っているのだろうか。それは、帰還した兵士やパイロットの間で「あのリボンのエンブレムがいたら危ない」と言われているからに違いない。作中で度々登場し立ちはだかる「黄色の13」のように、もうただのパイロットの1人ではないのだ。自分はこの中で優れたパイロットであり、そして勝利に導けるのは「メビウス1」しかいないのだ。と、今まで数々のミッションをやり遂げていった経験も合わさってそれを強く実感する事ができるのです。これは『エスコン04』が無線やストーリーだけでなく、ミッションの構成もプレイヤーが確かな成長を感じられるよう丁寧に作られているからでもあるのですが。

そして、間接的に褒める無線“だけ”が褒める無線ではありません。敵機を撃破した時に聞こえてくる無線も「褒め」であり「ご褒美」なのです。


この無線は、視覚だけでなく音でも敵を撃破した事を認識させる役割を持った無線です。ですが、敵機を撃破した時にそのパイロットが脱出を試みていたり、堕ちながら発する叫びや焦りの言葉が聞こえたり、周囲が動揺しているといった「反応」が返ってくると「やってやった」という心をくすぐられるのです。
『エースコンバット』は戦争という題材を扱っているのもあり物語はシリアスで、戦争を描くことで“戦争のない世界”という人間の可能性を描き続けています。(地続きの世界でシリーズが続くとその分戦争の数も増えるため、複雑な気持ちもありますが……)ですが「フライトシューティング」という“遊び”の部分では、このように多種多様な反応を返すことでプレイヤーを楽しませているのです。

間接的に褒める無線や、コールサインとエンブレムという「名前と顔」を使って『エースコンバット』は様々な主人公と物語を描いてきました。私たちプレイヤーが「メビウス1」または「ブレイズ」「ガルム1」「トリガー」などのエースパイロットとして成長し活躍していく楽しさと、人間の希望を信じるストーリーがリンクすることで、深く心に残る感動的な体験を与えてくれるのです。

認めよう 君の力を 今この瞬間から君はレイヴンだ
『アーマード・コア』は国家が解体され、企業が支配する世界が舞台です。主人公は独立傭兵であり、どこかの軍や企業に属しているわけではありません。パイロットの名前も操るACの名前もエンブレムも基本的には無く、全て自らの手で決めます。この辺りは『エースコンバット』と明確に違う点です。
軍隊、そして国として背負うものなどもなく、受ける依頼も内容や報酬を見て自分で選びます。最初は武器やACのパーツも弱く苦戦する事も多いのですが、依頼をこなして所持金や心に余裕が出てくると段々と良い装備が買えるようになります。もちろんただ高いから良いわけではなく、組み合わせ(アセンブル)も大事です。そうしてお金や知識もついていき難しい内容の依頼もこなせるようになっていくと、次第にこう言われるようになります「イレギュラー」と。

『アーマード・コア』は『エースコンバット』のように多くの無線が飛び交う戦場ではありません。台詞も他のゲームと比べると少ない部類に入ります。ですが、『エースコンバット』が様々な言い回しで君は部隊の「エース」なんだと伝えるのに対し、『アーマード・コア』はこう告げるのです。お前は「邪魔」な存在なんだ――要するに「死ね」。

『アーマード・コア』は主人公を「脅威」とみなし「排除」しようとしてきます。しかし、この主人公を「排除」しようとする同業者や企業の動きこそが『アーマード・コア』における「褒め」なのです。何故なら、ただの傭兵の一人でしかなかった主人公・プレイヤーが無視できないほど突出し、大きな力を持つ存在となったから起こる事なのですから。

この主人公を「脅威」として「排除」しようとする流れは、初代の『アーマード・コア』から最新作の『アーマード・コアVI ファイアーズオブルビコン』までほぼ一貫しています。
最初の方に放たれる「死ね」はただ道にある小さな石が蹴られるような軽さですが、中盤から終盤にかけての「死ね」には同じ傭兵として譲れないプライドや企業と世界のために存在を抹殺するといった意味や感情が込められています。自分のしてきた事への「反応」が、鋼鉄の身体や巨大な兵器をもってその生の意味や感情をぶつけられる。そこには、得も言われぬ感動や興奮があるのです。

そしてもう一つ『アーマード・コア』を象徴する「騙して悪いが」である「騙し討ちミッション」も「褒め」のひとつです。こちらは中盤辺りに発生する事が多く、内容の簡単さと報酬金額の高さが不釣り合いなため、受ける前から何かがおかしいと思う依頼です。



こちらは『アーマード・コア』世界の厳しさや傭兵たちの叩き潰す為なら何でもする具合を教えられるものでもありますが、騙すような依頼が回ってくるという事はそれほど主人公が頭角を現してきたという事でもあります。それに、逆に返り討ちにしてやるのは気分がいいですしね。(まあ、そう思って行くと大変な目に合うミッションが多いのですが…)
そして『アーマード・コア』も敵機を撃破した時に相手からの無線が聞こえてきます。そちらは「ご褒美」というより、冒頭で言ったように「最大の称賛」です。

『エースコンバット』では戦闘機を落とすと無線による反応が敵味方それぞれあり、味方の部隊もいますが、『アーマード・コア』では基本オペレーター以外と通信が発生する事は少なく、誰かと協力する事もあまりありません。もちろん依頼者や護衛対象、数少ない共同任務に赴く味方機など一切通信が無いわけではありませんが、撃破した際の声による反応の数自体はオペレーター以外少ない傾向にあります。しかし、依頼の途中に別の依頼を受けてやってきた「AC」が現れれば――そして特定のACを排除する依頼を受けていれば別です。

『アーマード・コア』は、特にPS2までの作品は操作にクセがある事もあり、AC一体すらも倒すのに苦労を要します。その苦労がある事によって、絶対に負けたくないという意地とともに同じ「AC」を操る人間として今ここに現れた「AC」に乗る相手は一体どんな人なのだろうと興味が湧くのです。不意をつくように現れたこいつは、ただ撃破の対象として示されたこいつは、何かを悟っていたかのような反応をしたこいつは、一体どんな奴なんだろう。と戦いの中で発する数少ない言葉から想像したくなるのです。


あと少しで機体が動かなくなりそうな所で敵ACが膝をつき、こちらが勝ったのだと安心、または勝ち誇った際に放たれる最後の言葉は、苦労して倒したとしても、そうでなかったとしても、独立傭兵として戦い続けるプレイヤーにとって「AC」という共通点が存在する相手からならば例えどんな感情が込められていようと勝利のトロフィーであり「称賛」なのです。

これは『エースコンバット』に登場する敵軍の「エースパイロット」に抱くものとしても通ずる所があります。ここまで殺伐とした感情ではなく、どちらかというと「敬意」に寄ったものではありますが。
主人公を「脅威」として「排除」する『アーマード・コア』は、戦うことで人の先に広がる可能性を描いています。戦い、そして世界の基盤や奥底に眠る兵器を破壊することで主人公は何かを得る。その「何か」はそれぞれの作品によって違いますが、基本的には支配からの脱却と自由です。企業が人を支配する中で、唯一自由な存在の独立傭兵たち。人同士が争う終わりのない世界で主人公が辿り着く景色とその先には、確かな光が存在するのです。

「英雄」と「イレギュラー」それらが示す人間の可能性
『エースコンバット』の主人公が英雄として称えられるのに対し、『アーマード・コア』の主人公は異分子として存在を抹消しようと追われ続けます。プレイヤーへの「褒め方」のアプローチや話の方向性はかなり違いますが、どちらもゲームプレイと密接に結びついた上で湧き上がるものであり、人間の可能性を描き続けている点は同じです。


部隊の英雄として戦闘機を操り広い空を飛び回る楽しさや、独立傭兵として閉ざされた世界をACと共に生きていく体験は、「ゲーム」という媒体でしか得られません。
7年ぶりの新作『エースコンバット8 ウイングス・オブ・シーヴ』は今年発売予定ですし、10年ぶりの新作『アーマード・コアVI ファイアーズオブルビコン』は発売から3年が経ち、次の新作の情報が出るのはいつになるのかと期待が寄せられています。これからもこのシリーズが私たちに一体どんな姿や景色、そして「プレイヤーへの称賛」を見せてくれるのか。ひとまずは『エースコンバット8 ウイングス・オブ・シーヴ』が楽しみでなりません。













