夏休みといえば、今も昔も「里帰り」ではないでしょうか。
この「里帰り」という表現は、あくまでも親の視点から見たもの。子供たちにとっては「おじいちゃんおばあちゃんちに行く」というもので、ちょっとした非日常を楽しめるひとときでもありました。
ですが、それでも自宅からゲームは持っていきたい!

今であればニンテンドースイッチというものが存在し、持ち運びに苦労はしません。最悪、スマホでも構わないかもしれません。
しかし、筆者が小学生時代を過ごした90年代は「持ち運べるゲーム機」といえばゲームボーイかゲームギアくらい。では、スーパーファミコンをおじいちゃんちに持ち込めばいいじゃないか……と言われそうですが、当時の据え置き型ハードは容易に他の家に持ち運べるものではありません。
その辺も含めて、今回は「90年代の夏休みのゲームライフ」について解説したいと思います。
◆スーファミをおじいちゃんちに持っていくのは大変だった!
一口に「90年代」といっても、実は数年毎に時代の空気が大きく変化した激動の時代でした。
1990年から2年ほどは、まだバブル経済の空気が残っていました。しかし、そこから徐々に不景気が誰の目にも明らかなものとなり、それは先の見えないデフレにつながっていきます。また、1995年には阪神淡路大震災、そしてオウム真理教のサリン事件が発生。ずっと続いてきた何気ない日常が破壊され、同時に日本人の価値観も大きく変わりました。
そのような時代の中において、家庭用コンピューターゲームは長足の進化を遂げました。80年代を席巻したファミコンよりも遥かに緻密かつ立体的な映像表現を可能とするハードが現れ、豊富かつ長大なシナリオも盛り込めるようになりました。
子供たちにとっては、もはやゲーム機は「玩具」ではなく日常に必要な「黒物家電」のような位置付けです。しかし、これを自宅の外に持っていくのは大変でした。

まず、ソフトの問題があります。スーパーファミコンのカセットは今の目で見ると非常に大きく、これを複数本持っていくだけでバッグの容量を余計に取ってしまいます。ハードと合わせると、そこそこ大がかりな輸送になってしまうわけです。ダウンロード? なにそれ美味しいの?
また、おじいちゃんちの家はコンセントの差込口が少なかったりもします。
何しろ、当時の高齢者の生活ですから茶の間の家電製品はテレビと扇風機が稼働していればそれでいいわけです。電源タップすらなかったりして、そこにスーファミのACアダプターを設置する余裕はありません。
◆静岡市と駄菓子屋
こうした事情はもちろん筆者だけではなかったと思いますが、しかし筆者の場合は幸いにもおじいちゃんちが静岡市にあり、「ゲーム機を持っていけない」という苦悩を払拭することができました。
なぜ、ここで地理が絡んでくるのか? それを説明する前に、筆者の身の上を解説したいと思います。
筆者の両親は共に静岡県静岡市出身ですが、父親の仕事(刑務官)の関係で当時は神奈川県相模原市にいました。ですから、筆者は相模原育ちです。相模原市は戦後、国道16号線が開通してから一気に人口が増えた都市。言い換えれば「新しい都市」です。
そういう都市にはショッピングモールはたくさんありますが、伝統的な駄菓子屋はなかなかありません。
一方、静岡市には今でも多くの駄菓子屋が存在します。静岡の駄菓子屋ではおでんを食べられるということは広く知られるようになりましたが、中には玩具店としての役割も兼ねた駄菓子屋もあります。静岡市の主幹産業であるプラモデルも、地元での販促を担っていたのはこうした個人商店でした。
そして、この種の駄菓子屋の店先に必ず置かれていたのがアーケード機です。
◆「駄菓子屋アーケード」が僕の友達だった!
今や絶滅寸前の「駄菓子屋アーケード」、筆者の記憶では20円でプレイできたと思います。相模原の最も安いゲームセンターは1プレイ50円でしたから、恐るべき破格と言っても差し支えない安さです。筆者の場合、普段プレイする機会のないアーケードゲームを思う存分遊べるわけですから、わざわざ相模原からスーファミを持ち込む必要は一切なかったのです。
極めて幸運なことに、筆者の母の実家の隣は玩具店型駄菓子屋で、店先にアーケード機とカードダスを置いていました。それらを楽しむための費用は、祖父に言えばいくらでも出してくれます。この駄菓子屋がなければ、おじいちゃんちにいる間は暇という名の苦痛に苛まれていた可能性が高かったと思います。
◆昔は昔なりの文化があった!

現代の家庭用ゲーム機は、大きなカセットを差し込む必要はありません。その気になればダウンロード版のソフトで遊ぶことができ、さらにテレビにはHDMI端子というものが搭載されるようになりました。これにより、「おじいちゃんちのテレビにはビデオ端子がないからゲームを接続できない」ということもまず起こり得ません。
しかし、昔には昔なりのゲーム文化が存在していたこともまた事実です。今現在繰り広げられている光景も数十年後には「あの時はああいう形で遊んでいた」というように語られるはず。人は常に未来へ向かっていく動物。今日の出来事は明日の歴史として語り継がれ、また新しい文化の土壌になっていきます。