HD-2D版『ドラゴンクエストIIIそして伝説へ…』が、令和の現在にありながら非常に大きな話題を呼んでいます。
『ドラクエIII』は、1988年2月のファミコンソフト発売から常に話題と共にありました。特筆すべきは、この作品は「話題倒れ」に終わらなかった点です。我々現代人は歴史を知っているためピンと来ないかもしれませんが、「歴史を変えるゲーム」という触れ込みで発売された作品が結果的に鳴かず飛ばずだった……という例はいくらでもあります。

しかし、『ドラクエIII』はそうではありません。前評判を裏切るどころか、日本人にコンピューターの基礎概念を教える役割を見事に果たしました。それは「セーブとロードの概念」です。
◆セーブとロードがあるから仕事ができる!
たとえば、筆者が今現在この記事を書いている最中も、セーブとロードは常時行われています。
筆者のやり方は、メディアを問わずまずはGoogleドキュメントに記事を書き、それをWordファイルに出力してメール送信するか、WordPress等のCMSにコピー&ペーストするかというもの。したがって、この記事もGoogleドキュメントに書いています。これは一文字入力する毎に自動的にセーブしてくれるため、昔のWordのように「手動セーブせずにクラッシュしたら、最初からやり直し」ということがありません。
記事を途中まで書き上げ、食事休憩と昼寝を済ませた後に作業を再開する際は、記事をロードします。セーブとロードが機能として確立しているからこそ、筆者は紙の400字詰め原稿用紙にペンを走らせる必要がないのです。

なぜ、『ドラクエIII』の話題なのにこのようなことを説明するのか。それは、この「セーブとロードの概念」を1988年の少年少女たちに伝導したのは、まさに『ドラクエIII』だったからです。
言い換えると、今現在もこの概念を持っていない人が存在します。それが大きな情報格差を生み出しているのです。
◆セーブを知らないスマホ講座の受講者
筆者は一時期、地元の公営施設でスマホ講座を開いていたことがありました。
これはスマホの基本的な使い方ではなく、たとえばQRコード決済アプリやAmazon等ECサイトの使い方、最近よく聞く「MaaS」って何? といったようなスマホ中級者以上向けの講座です。COVID-19によるパンデミック前には定員20人の講座に1人しか集まらなかったということがザラでしたが、パンデミック以後はキャッシュレス決済の重要性が人気視されるようになり、多くの受講者が押し寄せるようになりました。
ただ、筆者の講座に来る受講者は基本的なスマホの使い方はできるという話だったにもかかわらず、誰かに操作してもらわないとWiFi接続すらできないという人もいました。中には、操作の途中で電源ボタンを押してしまうと今までの作業が振り出しに戻る……と誤解していた人も。
「スマホで行った作業は保存される」つまりセーブの概念が全くない人は、珍しくありませんでした。残念ながら、日本の初心者向けスマホ講座では基礎的なコンピューターの概念を教えることはなく(下手な操作をしたら故障すると思い込んでいる人も少なくありません)、講師が受講者のスマホを代わりに操作してあげるということが横行しています。受講者が自分のスマホに一切触らず、一生懸命紙のメモにペンを滑らせている点も「スマホを扱えないスマホ中級者」が増えている原因だと筆者は感じています。
◆僕らは「冒険の書」でコンピューターの知識を学んだ

セーブとロードの役割は、文字で説明してもなかなか理解されません。
「デジタルのプラットフォームでそれまでの作業を保存し、後日再開できる」と言われても、「それが我々の生活をどのように変えるのか?」と返されてしまいます。
しかし、『ドラクエIII』をプレイした人なら文章による説明がなくともセーブとロードの有用性を知っています。なぜなら、『ドラクエIII』には「冒険の書」というものが実装されていたからです。

長く険しい冒険をソフトの記録媒体に記憶させ、後日それを取り出して前回の中断地点からプレイする。『ドラクエI』『II』のパスワード方式よりも遥かに簡単なロードを冒険の書は実現してくれました。ただし、記録媒体というものは元来デリケートな代物で、ソフトを乱暴に扱うと「おきのどくですが ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいました。」という忌々しい文言が呪いのBGMと共に現れます。
お、俺のセーブデータがあああぁぁぁぁぁぁぁ!! しかし、この時流した涙は「コンピューターは丁寧に扱うべし」という基礎的な教訓を子供たちに与えました。
そのような強烈な経験をしていない世代がセーブとロードの概念を理解し切れない、ということはある意味で自然な流れかもしれません。
◆『ドラクエIII』の大功績

『ドラクエIII』が発売された当時の新聞は、コンピューターゲームに対して辛辣な内容の記事を掲載する場合もありました。
しかしその一方、「ドラクエ」シリーズの開発陣を取材して「コンピューターゲームは電気や自動車に並ぶ歴史的発明品だ」と主張した先鋭的な記者も存在します。同じ新聞社の中に肯定派と否定派が同居していたことは、筆者も先日記事に書いてインサイドで配信しました。
『ドラクエIII』は、当時の子供たちに遊びを通して「コンピューターのイロハ」を教える歴史的役割を見事に果たしました。この現象がなければ、その後に訪れるバブル崩壊と「失われた30年」で生じた亀裂はもっと大きなものになっていたのではないでしょうか。

多くの人が基礎的なコンピューター知識を持っていなければ、IT分野は成長しません。「コンピューターなんて必要ない!」と拒否されてしまうのがオチです。90年代以降の日本がそうならなかったのは、ひとえに「ドラクエIIIの功績」と言えるのではないでしょうか。