■同い年でも三者三様。その狭間から生まれる様々なドラマ

「みすず」は、ほとんど記憶のない母親である「陽子」をどのように受け入れればいいのか、すんなりと答えは出せません。「常世の国」への旅に誘われても、その手を取っていいのか躊躇してしまいます。

「陽子」は生まれつき身体が弱く、また未来の自分がどんな結末を迎えるのか、どうやら悟っているようです。そのためか、「みすず」との出会いを心待ちにし、共に旅ができる喜びに溢れていました。

「みすず」にとって「ツムギ」は全く未知の人物ですが。「ツムギ」からすればよく知る母親の過去。性格や振る舞いに共通する部分も多く、親しみやすい相手のようです。

また、「ツムギ」にとって「陽子」は、自分が生まれる前に亡くなっており、想像するのも難しい相手でしょう。「陽子」にとっても、「ツムギ」の存在はあまりに未来過ぎて、「守るべき相手」という認識こそあれど、祖母と孫という実感は(16歳時点なので当たり前ですが)かなり希薄です。
世代間ギャップも手伝って、意見がぶつかることも多い「陽子」と「ツムギ」。その間の世代となる「みすず」が緩衝役になるのは、性格的な役割分担なのか、母子三代の立場ゆえか。世代は異なるが年は同じ、という不思議な繋がりから生まれる会話と関係性は、「女子高生同士の接点」だけではない深みと奥行きを感じさせてくれました。
■繊細な距離感を柔らかな筆致で紡ぐテキスト

かといって、堅苦しいやりとりが多いのかと言えば、その心配は全く不要です。神が相手でも物怖じせず、自分の意見をはっきりと口にする「陽子」。境界線を引きがちですが、自分の意志を大事にする「ツムギ」。一見のんびりしていると思われがちですが、「身近な人物の死」を最もよく知っている「みすず」。
世代や立場だけでなく、性格や考え方もまったく異なるからこそ、対応や反応に違いが生まれ、軽い会話の中にも個性が浮かび上がってきます。16歳の少女同士という繋がりが、関係性の重さをいい意味で軽やかにし、没入しやすい雰囲気作りに一役買っているように感じました。

また本作のテキストは、登場人物の複雑な心情を豊かに分かりやすく描くだけでなく、起こさなかった行動から人物の考え方や在り方を暗喩する一面もあり、個の文章としても魅力的でした。
例えば「陽子」は、「みすず」の時代に来た際、みすずの祖父母──「陽子」にとっての父と母の顔を見てから旅立ちましたが、大人になった自分を探そうとはしませんでした。その「起こさなかった行動」を第三者の視点から見ると、彼女が自分の未来を知っている(=既に死んでいるので探すのは無意味)のでは、と察することができます。

その行動に関して後に「みすず」も指摘していますが、「祖父母を探す」ことで「自分を探さない」というギャップを生み出し、プレイヤーに想像を促すという手法ひとつをとっても、非常に秀逸なテキストだと分かります。